棋譜をとる、棋譜をとられる

コラム
 在住の埼玉県には、かつてアマプロ戦で大活躍した強豪のK氏がいる。大会で見か
けるが、この人は一局終える度に手帳を取り出し棋譜を書き込む。「さすが、一流は
勉強熱心」と常々感心していた。
 ある時、ついにK氏と対戦の機会を得た。雲の上の存在、憧れの人との一戦。しか
し、気合が完全に空回りした。序盤から一方的に攻められて、完敗。こっちは記録ど
ころか記憶から消したい内容だが、氏はいつも通り手帳を取り出し書き込んでいく。
 まさか、こんな一方的な将棋の棋譜をとられるとは、恥ずかしいやら、悔しいやら。
 その一方で、大差の勝利でも油断無く記録する氏に感銘を受けた。
 太陽将棋研究会では、年1回棋譜集を刊行している。編集は大変だが、自分の棋譜
が冊子になるだけで嬉しい。もちろん、上達にも役立つ。棋譜をとることは、例えれ
ば、日記をつけるようなもの。多くの人におすすめしたい。
 ところで、棋譜をとることを日記に例えたが、棋譜をとられることは、何に例えら
れるか?
 あの時は、写真をとられたようなものだった。自分は一体どんな顔をしていただろ
う。
   (二〇〇九年四月号 K)