文化としての将棋

コラム
 子どもの頃、大相撲が大好きで、江戸時代の谷風や雷電と現在の横綱(当時の第一
人者は北の湖)とはどっちが強いのか、と真剣に考えたことがある。この場合、「強
さ」の定義が意外と難しい。直接の対決で勝った方と言うなら平幕でも大横綱と互角
の力士がいる。勝率、勝ち方…、どれも決め手に欠ける。考えるほどに強さというの
は曖昧な概念なのだ。強力な軍隊とレジスタンス、「ペンは剣より強い」という言葉
もある…。
 かつて、我々の研究会に対し「これでは強くなれない。意味がない」と批判した人
がいました。強くなれるかどうかはともかく、強くなれないと意味がないのか、はみ
んなと考えてみたいテーマです。将棋をする確かな価値とはいったい何なのか?将棋
は日本の誇れる文化だということに、多くの人は異論がないでしょう。
 文化とは、人々の生活に根ざした営みそのものであり、行なう「こと」それ自体に
こそ価値があるのだと私は考えます。私がこの研究会を通して取り組みたいのは、紛
れもなくその「文化」としての将棋なのです。
   (二〇〇九年七月号 K)